欠落と獲得

   今僕は、この記事を乗り過ごした電車から書いている。乗り過ごした原因は、音楽を聴きながらLINEをしていて、目的地へついたことに全く気づかなかったからだ。

 

  僕はよく電車を乗り過ごしてしまう。これはもちろんダメなことだと思う。乗り過ごして、遅刻してしまうということは、自分の思いの弱さであったり、詰めの甘さの表れだからだ。本当に行きたいところに行く時に人は遅刻するだろうか?多分ほぼしない。だから乗り過ごしてしまうということは、その用事がどうでも良いと思っているとすら、言い換えられる。それに、待ち合わせている相手がいるなら、その相手の時間を奪う行為にもなる。だから乗り過ごしは決して良いこととは言えない。

 

 

   こんな風に僕は乗り過ごしがいけないことだということは理解している。だが、それでも僕は度々、遅刻してしまう。なぜなんだろう。

  こんなことを言ってしまうのは気が引けるが、それは僕が他の人と比べて集中力があるからではないだろうか。

 

      「こいつは何をいっているんだ??」

 

読者の皆様は今こう思っていると思う。(読者の皆様と言えるほど、このブログを読んでくださっている方は多くないが。)     だが、まずは僕の話を聞いて欲しい。

僕はよく電車にのっているときに他のことをしている。LINEをしているときもあるし、本を読んでいるときもある。外の景色を見ているときもあるし、考え事をしているときもある。それでしばしば乗り過ごしてしまう。

これは言い換えれば僕がそれだけLINEや本、その考え事に集中できているということではないだろうか。

 

これは乗り過ごしだけに限らない。僕はよく物をどこに置いたか忘れてしまうこともある。これも乗り過ごしと同様で、何か他のことを考えながら無意識に置いている。要するに物をどこに置いたかを忘れている訳ではなく、最初から意識していないのだ。(ちょっと何を言っているのか分からなくなってきた。)

これもある意味では考え事に集中しているから起こることだ。

 

よってここから導きだされることは、僕は乗り過ごして遅刻をしてしまったり、忘れ物をしてしまうという欠落を抱えているが、その分たぐいまれなる集中力を獲得しているということだ。

 

忘れ物や乗り過ごしは場合によるので、一概に「僕は忘れ物をよくするので集中力があります。」などということは言えない。一概には言えないどころか、何の前置きもなくこの一文だけを言うと 、確実に「こいつは頭がおかしくなったのか?」ともれなく思われる。

 

   だが、欠落と獲得の関係は確実にあると思う。何かが欠けている。だからその分何かを得ることができる。持っていないということはその分、その分他の何かを得るチャンスがあるということだ。多分人間はそういう風にできている。完璧な人間なんかいない。全てを得るなんてことは不可能だ。人間には多分、何かが欠けているからこそ、引き立つ魅力があるのだと思う。