「海」

超久しぶりにブログを書く。最近はなんか色々なことが頭のなかで大暴れして、そのまま通りすぎていく。そんな感じになっている。だからずっとモヤモヤモヤモヤしてる。でもモヤモヤしてる自分はダサい。何かしたい。でも何がしたいのかわからない。ああもう頭の中がぐちゃぐちゃだ。何かやりたいことがある。何か言いたいことがある。何か見てほしいものがある。でもない。ないんだ。手探りで探すしかない。外からとって来ようとしてもダメ。常に自分の中から探り当てるもの。感覚としては、海の中から、落としたカギを探し当てるような感じ。でも案外その海は広くないのかもしれない。それに例え広かったとしても、カギは自分のすぐ近くの場所にあるのかもしれない。全ては自分の心ひとつ。思ったことがそのまま反映される。叫べ。歌え。踊れ。ただ、生きる。

陽炎

なんか最近つまらない。でも何がつまらないのか分からない。何をしてもいまひとつのめり込みきれない。なんでだろう何が楽しくないんだろう。ずっとネガティブ。遠くを見つめてはため息をつくような日々を過ごしている。何がしたいのかも分からなくなって、ただただ惰性の日々を送ってる。でも多分こんなこといってる間は何も生まれない。多分もう既に必要なものは自分の中に全部ある。全部揃ってる。多分成長するっていう行為は外から何かを持ってきて切り貼りすることじゃない。自分の中から呼び覚ますものだ。引き出せ。思い出せ。向き合え。そうして初めて大切なものが見つかる。楽しむなんて生半可なもんじゃない。魂が燃えるような、自分の中で、何かが溢れて大洪水を引き起こすような、そんな感動、感情を待ちわびている。いや、待っているだけじゃダメだ。自分から取りに行こう。人間みんないつか死ぬ。終着駅は決まってる。でも、それまでどうするかはひとりひとりに委ねられている。自分の中の火種を消すな。燃え盛れ。表現しろ。勇気を持て。何も気にするな。まずは自分が自分を燃やすところからだ。さあ行け!

欠落と獲得

   今僕は、この記事を乗り過ごした電車から書いている。乗り過ごした原因は、音楽を聴きながらLINEをしていて、目的地へついたことに全く気づかなかったからだ。

 

  僕はよく電車を乗り過ごしてしまう。これはもちろんダメなことだと思う。乗り過ごして、遅刻してしまうということは、自分の思いの弱さであったり、詰めの甘さの表れだからだ。本当に行きたいところに行く時に人は遅刻するだろうか?多分ほぼしない。だから乗り過ごしてしまうということは、その用事がどうでも良いと思っているとすら、言い換えられる。それに、待ち合わせている相手がいるなら、その相手の時間を奪う行為にもなる。だから乗り過ごしは決して良いこととは言えない。

 

 

   こんな風に僕は乗り過ごしがいけないことだということは理解している。だが、それでも僕は度々、遅刻してしまう。なぜなんだろう。

  こんなことを言ってしまうのは気が引けるが、それは僕が他の人と比べて集中力があるからではないだろうか。

 

      「こいつは何をいっているんだ??」

 

読者の皆様は今こう思っていると思う。(読者の皆様と言えるほど、このブログを読んでくださっている方は多くないが。)     だが、まずは僕の話を聞いて欲しい。

僕はよく電車にのっているときに他のことをしている。LINEをしているときもあるし、本を読んでいるときもある。外の景色を見ているときもあるし、考え事をしているときもある。それでしばしば乗り過ごしてしまう。

これは言い換えれば僕がそれだけLINEや本、その考え事に集中できているということではないだろうか。

 

これは乗り過ごしだけに限らない。僕はよく物をどこに置いたか忘れてしまうこともある。これも乗り過ごしと同様で、何か他のことを考えながら無意識に置いている。要するに物をどこに置いたかを忘れている訳ではなく、最初から意識していないのだ。(ちょっと何を言っているのか分からなくなってきた。)

これもある意味では考え事に集中しているから起こることだ。

 

よってここから導きだされることは、僕は乗り過ごして遅刻をしてしまったり、忘れ物をしてしまうという欠落を抱えているが、その分たぐいまれなる集中力を獲得しているということだ。

 

忘れ物や乗り過ごしは場合によるので、一概に「僕は忘れ物をよくするので集中力があります。」などということは言えない。一概には言えないどころか、何の前置きもなくこの一文だけを言うと 、確実に「こいつは頭がおかしくなったのか?」ともれなく思われる。

 

   だが、欠落と獲得の関係は確実にあると思う。何かが欠けている。だからその分何かを得ることができる。持っていないということはその分、その分他の何かを得るチャンスがあるということだ。多分人間はそういう風にできている。完璧な人間なんかいない。全てを得るなんてことは不可能だ。人間には多分、何かが欠けているからこそ、引き立つ魅力があるのだと思う。

 

 

気づいたこと

前回の続きです。すごく久しぶりですが、今回もよろしくお願いいたします。

 

 

             1~ 中学サッカー後~

最後の大会が終わり、一区切りついた。次の舞台、高校サッカーに向けて僕はクーバーコーチングサッカースクール(以下、クーバー。)に行き始めた。クーバーはチームではなく、個人にフォーカスしたサッカースクールのようなものだ。

  クーバーでのサッカーはすごく楽しかった。多分それはすごく自由にできたからだ。何のメンタルブロックもなく、すごくのびのびとプレーすることができた。コーチの方はみんな寛大で、やさしく、何よりサッカーを楽しんでいるように見えた。それにこのチームではなくあくまでもスクールだったから周りのことをいい意味で考えず、自分がしたいプレーにフォーカスできたからなんだと思う。クーバーでの最後の練習のゲームで決めたゴールは、今まで僕が決めたゴールの中で一番うれしかった。感動的だったし、恍惚とした。

  

クーバーでは久しぶりにサッカーを楽しむことができた。改めてサッカーの素晴らしさを実感することができてすごく良かった。

 

 

 

                        2~体験~

 

高校サッカーの体験にいった。結論から言えば全く楽しむことができなかった。

   僕の学校は中高一貫校で、高校サッカー部では、内部生と外部生が混ざる。そして高校サッカー部の監督は内部生を毛嫌いしていた。僕は内部生だった。

だから、先輩達がゲームしているというのをずっとながめていたり、走らされたりしてばかりだった。練習に少し参加させてもらってもすぐに罵倒され、「お前は入ってこなくていいぞ」!!と言われ、練習から弾き出された。そんな日々が何日か続いた。

 

 

                         3、理由

僕は少しずつ高校サッカー部の練習に行くのが嫌になっていった。内部生の扱いが酷いということは、体験に行く前から知っていた。でも僕はプロになりたかったから、どんな扱いをされても高校サッカー部に入ってうまくなろうと、そう思っていた。

  だが、実際に体験に行ってみると全く楽しくない。何のためにサッカーをやるのかわからなくなっていた。サッカーは楽しむためにやるはずなのに、楽しくないサッカーに意味はあるのか。プロになるためには、高校でサッカー部に入らなければならないのか。そんなことを考えていた。

そして僕は、練習に行かなくなった。 

 

 

 

 

だいたいはこんな感じだった。この後、僕はフットサルを始める。だがそれをここで書くのはやめておく。

 

 

 

    と、ここまで書いてきて思ったことは、ぼくはこの文章を書きたくて書いているわけではないなということです。前に僕にとってのサッカーを振り返ろうと思って、ブログを書き始めました。そしてまず小学生の時について書きました。本当は一回で全て書ききろうと思っていたのですが、思ったより量があったので書ききることができませんでした。それで続きをまた書きますと宣言しました。でもこれが失敗だったのです。最初の回以外は、ずっと義務感で書いてしまっていました。これでは何の意味もない。いや、意味を求めてしまったらもう終わりなのかもしれません。たいてい意味があるだとか、ないだとか言い始めたときは、たいていそのことをやりたくないときなのだと思います。本当にやりたいことに対して、人は意味を求めない。だってそのこと自体が意味になるから。理由は基本的にはいつも後付けです。理由は自分の衝動を断片的に言語化するため、あるものだと思います。本当にやりたいこととか、好きなことは頭じゃなくて、心というかもっと感覚的な所が震えるものです。何か好きなものがあったとして、それを好きな理由を全て完璧に言えるのなら、その理由を持っている他のものに置き換えることができるということです。そんなものにたいした意味はありません。

 

自分の想いがこもっていない文章に熱は宿らない。そんな文章では人の心は打てない。この場所は、ただ僕がその瞬間、瞬間思ったことを、描きたい!表現したい!伝えたい!と思ったことを、ただ綴る。そんなブログにしたいです。

 

僕が思ったことや、感じたことを誰かに聞いて欲しい、できることなら共感したい。そのために僕はこのブログを始めたんだと思います。もう少し本音を言うなら、誰かに認めて欲しいからです。僕が書いたものがひとつ1つでもいいから、一人でも良いからみとめてほしい。そんな醜い承認欲求を満たすために書いている側面もあります笑。もしかしたらそれが大部分なのかもしれません。寂しさを紛らわしたいからなのかな…。

 

とにかくここでは素直にいたい。これからはもう自分が書きたいこと、聞いて欲しいことしか書きません!!笑

 

 

 

僕とサッカー~中学時代~

久しぶりに前回の続きを書きます。今回は中学のころについてです。今回も長くなると思いますが、よろしくお願いします。

 

 

~中1~

 

 

中学生になり、サッカー部に入った。入る前は、うまくいくんじゃないかなと思っていたけど、その希望はすぐに打ち砕かれた。最初の方はまあまあうまくいったものの、途中からは全然うまくいかなくなった。試合で全く使ってもらえず、三年生が引退してからも、ベンチに入れない日々が続いた。秋に行われた一年生大会でも、ずっとピッチに立てず、ベンチを暖め続けた。ようやく出れた試合は、もう敗退が決まってからの消化試合。本来のポジションではない、ボランチでの出場だった。

 

 

全力を出しきれて、うまくいかなかったのなら、逆に吹っ切れて、気持ち良くプレーすることができたかもしれない。でも僕は自分がしたいプレーを全然できずにいた。だから全然サッカーを楽しむことができなかった。

 

自分がやりたいプレーをできなかったのは、自分の力の無さを実感したくなかったからだ。取られる自分の姿を見られて、みんなに下手だと思われたくない。このダサい考えが僕のチャレンジの邪魔をした。失敗を恐れて何もできないことほどダサいことはない。そしてこの考えが中学3年間、ずっと僕の足を引っ張り続けた。

 

 

~中2~

 

中2になり、プロになりたい気持ちが、より強くなった。朝も、昼休みも、練習の後も、オフの日も、毎日ボールを蹴った。でもそれが実を結ぶことはほとんどなかった。

 

あの頃はとりあえずボールを蹴ればうまくなるんだと思っていた。別に好きだからやっていたという訳ではなく、うまくなるためだと、『努力』しようと思ってボールを蹴っていた。

 

でも、努力だと思っているうちは、それが実を結ぶことはほとんどない。自分で決めてやっていることだけど、それは主体的にやれているわけじゃない。wantの思いが僕を動かしているわけじゃなく、mustの重いが僕を無理矢理、動かしていた。でも、これをやればうまくなるんだろうと自分に鞭打ち、ボールを蹴った。でもそこに楽しさはない。だから本当の意味で夢中になり、練習に没頭できたことは少なかった。

 

 


どんな世界でもトップに上り詰めることができるのは、自分がやっていることを心から愛することができて、それに夢中になれるやつだと思う。そうじゃないと斬新な発想は生まれないし、遊び心もなくなる。楽しくなくなるから続けることもできなくなる。サッカーは誰かに強制されてやるもんじゃない。そして、自分で自分に強制してやるものでもない。何の打算もなく、ただ純粋に、その瞬間ボールが蹴りたい。そういう心の底から溢れ出す思いが常にきっかけであるものだと思う。

 

 

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~中3~

 

自分達が最高学年となり、出場機会が少しずつ増えてきた。センターフォワードサイドハーフとして僕は試合に出ることができるようになった。だがいつも、求められるプレーとやりたいプレーの狭間で悩みながらプレーしていた。

 

僕が理想としていた選手は、メッシであり、ネイマールだった。ずっとあんな風にドリブルがしたいと思ってサッカーをしていた。でも僕に求められていたのはもっとダイレクトで叩くプレーだったり、シンプルなプレーだった。求められるプレーをすれば一定の評価を得られたけど、心の底から楽しむことはできなかった。そして僕には強引に自分がやりたいプレーを押し通せるような意思の強さも、実力も、備わっていなかった。だから常に苦しさの中プレーしていた。

 

試合に出たいけど、出たくない。ずっとそんな気持ちだった。試合に出ることで自分の承認欲求を満たしたいけど、いざ出てみると、ミスが怖い、チームメイトや監督からの叱責が怖い。サッカーを楽しむことができなかった。

 

そして最後の大会を迎えた。僕はベンチには入ったものの、1秒も出場時間はなかった。チームは過去最高の成績を出したが、僕は全く喜ぶことができなかった。こうして僕の中学でのサッカーは終わった。

 

 

 

次も、これの続きを書こうと思います

 

 

僕とサッカー ~小学生時代~

  今日から、サッカーについて書いてみようと思います。僕にとってサッカーとはずっと、軸になってきたものです。でも、今になって少しその軸がぶれてきているような気がするので、ここで僕とサッカーの関係を振り返り、そしてこれからどうしていくのか、サッカーの魅力とはなんなのか…。とにかくサッカーについて書こうと思います。

長くなると思いますが、是非お付き合い下さい。

 
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1:僕とサッカーの出会い

 

 僕がサッカーに興味を持ち始めたのは、小学校4年生の終わりごろ。小4の始め頃から、通っていた小学校で、週に一回、一時間ちょっとくらいしかやらないような軽い部活でサッカーはしていたが、その時はなんとなく入ってみただけで、全然楽しくなかった。だからボールを蹴るのって楽しいな!って思えたのはこの時が初めてだった。

それは、家の近くの小さな公園で、PK戦をした時。僕はトーキックしか蹴れなかったし、コースを狙うような技術もなかったけど、なぜかおもしろいようにゴールを決めることができた。

 

その時から少しずつ、僕は、一人でボールを蹴るようになった。家の前の道でドリブルしたり、壁にボールを蹴ったりした。その頃には、楽しくなかった部活も、少しずつ楽しくなっていった。始めたころには、ゲーム中ボールが来ても、焦って適当に蹴ることしかできなかったのが、少しずつ自分でボールを持てるようになり、小学校6年生になるころには、ドリブルからゴールを決めることも、できるようになっていた。

 

そしてこの頃から、僕は漠然と、プロサッカー選手になりたい、と思うようになった。

 

 

2:本格的にサッカーを始める 

 

 小6の夏頃、友達が入っていたチームに入ることにした。部活はずっとやっていて、そこからも続けたけど、部活の短い練習時間だけでは物足りなくなった。だから少年サッカークラブに入り、本格的にサッカーを始めた。

 

そこではみんな優しく接してくれたけど、あまり活躍できず、小学校の部活のようにはいかなかった。みんな自分より長くサッカーをやっていて、やっぱりうまかった。

そこからは、僕が受験することもあって、あまり練習にいけず、最後の大きな大会も僕は一度も出れずに終わった。

受験と大会が終わってからも、試合はあって、そこでは少しいいプレーをすることができた。初めてゴールを決めることも出来たし、ドリブルとパスも、以前よりうまく行くようになった。

そして、小学校でのサッカーは終わりを告げた。前よりもサッカーが楽しくなり、もっともっと上手くなりたいと思った。そして、プロになりたい気持ちも大きくなっていた。

 

 

~小学生時代を振り返って~

 

 部活ではチームの中心、クラブチームでは、チームで一番下手。そんな感じだった。だから正直、部活でのサッカーはすごく楽しかった。でもクラブでは、あんまり楽しめなかった。当たり前のことだけど、やっぱり自分が中心で自由にやれたら楽しい。そうじゃなかったら本気で楽しめない。ネイマールが今年、バルサからPSGに移籍したのもそういう理由だったんじゃないかなーと思う。

 

中心だったら楽しめるのはいうまでもない、当たり前。自由に思い通りにプレーできるし、自尊心や、承認欲求も満たされる。じゃあ自分がチームの中心じゃなかったらどうしたら楽しめるのか?チーム内でのヒエラルキーが低い時はどうしたらいいのか?まず前提として言い訳はしないこと。僕はクラブでやるとき、うまくいかなくても、「自分はみんなより始めたのが遅いしな…」と思い、逃げていた。自分と向き合わなかった。そんな風に思っていてもなにも始まらない。仕方ない、しょうがないは必要ない。そこからはなにも生まれない。必要なのは自分と向き合うことだ。

 

そしてここからが本題だ。練習してうまくなれたらいいけど、ふつうに練習して、ふつうにコーチの言うことを聞いて、周りのやつらを越えていくのは難しい。チーム内での序列が下だということは、試合に出る機会が少ないということ。うまいやつらはみんな多く試合に出て、成長していく。うまいやつは自由にやっても結果がついてくるから、自分でやりたいことをどんどんやれる。

 

でも上手くないやつはそうじゃない。まず試合経験が少ない。それに、やりたいことをやってもミスすることがよくある。自由にやって結果が出ないとなると、指導者はああしろ、こうしろと言ってきて、自分のプレーを否定する。そして選手は、言われたことをただこなしていくようになる。忠実に言うことを聞き、実行する。それなら、そう、とがめられることはないからだ。もしかしたらそれで、出場機会が増えるかもしれない。でも、これじゃ突き抜けるのは難しい。本当にそれで楽しいのか?

 

ここからは個人の意見だと思って読んでほしい。指導者の言うことを聞くことはもちろん必要なことだ。でも聞くことと、鵜呑みにすることは違う。自分がどういう選手になりたいか、どうしたいか、もっと言えばどうなれば幸せかをしっかりと考えた上で、その指導を取り入れるか、それとも、取り入れないかを判断すべきだ。「造られた」選手には僕はなりたくない。自分自身で「創り上げた」選手になりたい。それが一番楽しいと思うから。サッカーは歓喜を味わうためにある。楽しくないぐらいなら、ボールを触るのが苦になるくらいならやめてしまった方がいい。

 

多分、サッカーがあんまり楽しくないときっていうのは、チームメイトやコーチにプレーを否定されたり、矯正されたりして、自信を失い、受動的になってしまっていているときだ。そしてチーム内で序列が低いと、うまくないとそうなりがちだ。

 

だから、どんな状況でも自分の声に耳を傾けることだと思う。自分はどうしたいか、自分の内側からわき出る感情でプレーをすることが必要だ。誰かのためにプレーするより、まずは自分のためにプレーすること。(仲間へのリスペクトは絶対必要。自分の自由を実現すると同時に、まわりの自由も認めることが大切。)それで、もしうまくいかなくても、何かしらの圧倒的な感情が残ると思う。そこからまた練習して、うまくなればいい。もっとサッカーが楽しめるようになれればいい。少なくとも後悔はしないはずだ。

 

試合に出られるか、出られないかは相対的なものだ。周りと比べて自分がどうなのか。サッカーがチームスポーツである以上、そこの比較からは逃げられない。でも忘れないでほしいのは、自分の感情は絶対的なものだということだ。楽しい、悔しい、嬉しい、悲しい。楽しいから、好きだから、試合に出たいし、勝ちたいんだと思う。そこの感情が何より大切だ。自分の求める感情を大事にして、サッカーをやってほしい。その先に素晴らしいものが待っている。

 

 

僕もそうやってサッカーを楽しみ続けたい。

 


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次は中学時代について書きます。だいぶ長くなりました。読んでくれた人はありがとうございました。これからもお願いします。

 

 

 

 

 

 

Lionel Messi.

久しぶりにブログ書こうと思います。毎日書くとか言っておきながら情けないですけど笑

毎日書く!っていったのに無理がありました。やっぱり無理にじゃなくて自分が書きたいと思って書ける時に書くのが一番。だから毎日は無理だけど、何かあったらその都度アップしていこうと思います!

 

 

前置きはこれぐらいにして、今日なんでまた久しぶりに書こうと思ったかって…

 

 


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メッシ!!!!!

この試合の結果でアルゼンチンがワールドカップに出られるかどうか決まるという大事なエクアドルとのアウェイ戦で見事ハットトリック!!!

 

  開始早々にエクアドルに先制され、暗雲が立ち込めるも、さすがは千両役者。前半12分、ディ・マリアとの連携からメッシが決め同点に追い付く。そして前半20分。またもディ・マリアのパスからメッシ!!!トラップが少し乱れ相手に奪われるも、瞬時に奪い返し、ゴールに叩き込み逆転!仕上げは後半17分。エクアドルに押し込まれている中、ドリブルで持ちこみループシュートハットトリックを達成!

 

これで順位はワールドカップ出場圏外の6位から3位に浮上!アルゼンチンのワールドカップ出場決定!!!!

 

本当にメッシはすごい!!!言葉で表現できない。こんな大一番でアルゼンチンをワールドカップに導くハットトリック!!特に一点目と二点目にはメッシの圧倒的な熱量が感じられた。二点目のボールを瞬時に奪い返した時の迫力は、目を見張るものがあった。メッシは衰えるどころかどんどん進化している。ドリブラー、ストライカー、チャンスメーカー、そんなものに当てはめられない。

 

 

 

サッカーの神。メッシは前人未到の領域にいる。生でマラドーナとかペレとかクライフを見たことはないけど、それでも多分メッシの方が上だと思う。何度もここぞというシーンで、チームを勝利に導いてきてる、リーガエスパニョーラでも、チャンピオンズリーグでも、代表戦でも、そしてクラシコでも。

 

 

 

僕もサッカーをやっていて、(今はフットサルをしてる。またこの事についても書きたいと思う。)メッシを超えたい!と2、3年前は思っていたけど、今はこう思う。メッシは越えられない。サッカーの楽しさと共に、難しさも前より分かるようになり、メッシのすごさも以前よりも分かるようなった。メッシは格が違う。メッシを越えるなんておこがましい。こんな風に書くのはちょっと、いや、かなり悔しいけど、でもそれほどまでにメッシはすごい。異次元だ。でも近づけるようになりたい。メッシを超えたいと言えるようになりたい。そんな自分もどこかにいる。

 

メッシを見ていると色々な感情が溢れ出してくる。サッカーがしたくなったり、あまりの凄さに感動したり、尊敬したり、そして少し嫉妬したり。メッシは僕にいつもサッカーの素晴らしさを教えてくれる。僕がサッカーを本格的に始めたのは、小学校6年生の時。その時からずっとメッシは、僕の憧れであり続けている。何度も、テレビで、YouTubeでメッシを見てきた。メッシの本を買って読んだ。ネットでメッシを調べた。そして、メッシの真似をして何度もボールを蹴った。あんな選手になりたいと思って。

 

 

メッシのプレーには、本当に何度も、何度も魅せられてきた。そしてこれからも魅せてほしいと思う。バルセロナで、アルゼンチン代表で。ずっと言い回されてきた言葉だけど、メッシを生で見られる喜びを、これからも噛み締めていきたいと思う。

 

 

Gracias, Leo!!